六月巻頭言
校長 小山 正辰
6月を迎えました。梅雨入りもそろそろ、との報もあり体育祭を控え、天候が気になる時節です。月初めの今日、地歴科の村川教諭の日本史の授業、3年1組の生徒に帯同し、近くの「古墳」見学に行ってきました。
「桜塚」の地名の由来となったのは、岡町駅前、原田神社鳥居近くの古墳(今は跡地)ですが、岡町駅周辺には西側の「大石塚古墳・小石塚古墳」(4世紀頃)と、東側、本校南に位置する3つの古墳群(5世紀)が国史跡として保存されています。
本校正門から約100mにある「大塚古墳」は直径56m、周濠幅12mあった阪神間最大の円墳。5世紀前半の大和政権武人が埋葬者である、といいます。生徒と一緒に村川教諭の説明を受け、古墳頂からはるか1600年前なら,みえたであろう大仙陵(伝仁徳天皇陵)に想いを馳せてみます。5世紀の人々にとって古墳はランドマーク、さしずめ「5世紀のスカイツリー」とでも呼んでおきましょう。
また、鎌倉時代にこの大塚古墳は盗掘にあっています。それがわかったのは、盗人たちが放置していった「灯明皿」一つであったことなど。500年、1000年という歴史と人間の行為の痕跡がこのように伝えられ、身近に感じることができる喜びを感じました。
大塚古墳は公園としても整備されています。公園と道ひとつ隔てて南にある「御獅子塚古墳」。現在は、南桜塚小学校の敷地内にあり、普段は中に入れません。許可を得て、毎年日本史の授業で見せていただいているそうです。
こちらは、大塚古墳より少し小振りだけれど「前方後円墳」です。大塚古墳の埋葬者の息子ではないか、と言われています。「方」墳側が「生」の世界、「円」墳側が「死」の世界、その間に鶏の埴輪が埋められていたそうです。鶏は朝を告げます。夜の世界は死の世界、朝は生の世界。両世界をつなぐ象徴としての埴輪、埋葬なのです。
学校への帰り道、公園内にある甲冑像の説明も受けました。鉄でできている鎧は重く動きにくいものです、1600年前の武人がどのように戦い、鎧で身を護ったのか。
50分の授業、正門から100mの距離で1600年前を体験しました。教師は「地の利」を得た授業を展開することができ、生徒は身近な公園が歴史教材となる。
この立地条件を天佑といわず、なんと言おうか。幸せだなあ。