校長だより

虚往実帰 - 年頭ご挨拶

虚往実帰 - 年頭ご挨拶

校長  小山 正辰

 

 あけましておめでとうございます。平成25年、2013年、巳年となりました。

 今日4日は、初出勤。晴天の冷気がさわやかな朝です。

 平成が25年を数え、そのちょうど3倍、75年を過ぎ76年目を迎える桜塚高校の歴史の始まりにあたって、7時半から教頭先生と校内を一回りしました。

 グランド奥にある「慰霊塔」にも手を合わせてきました。諸先輩の遺志を、後輩たちの新たな旅立ちにつないでいければ、という願いを込めました。

 15歳から18歳という、人生の、最も多感で思いまどう年齢を「高校」という学び舎で過ごします。大人ではなく、大人への道を歩み始めたこの3年間が人の一生の中で、どれほど貴重なものか、体験してきた私たち大人は十分すぎるほどっています。

 うまくいくこともあるけれど、理想が高ければ高いほどうまくいかない、と感じることが大半です。その時、「だめだった」と嘆じるより、「こうやれば失敗する」という経験知に換えることで成長の糧を得る、ことになるのだと思います。

 私が15歳から18歳を過ごした高校の同窓会が年のはじめにありました。

 私たち辰と巳の年の生まれ人は「還暦」という節目を迎え、それぞれの人生を一区切りさせようとしています。42年という重みを同窓会でそれぞれが感じ、これからの人生に向けての糧になったのではないかという気がしています。長い間会っていない友が、私の空手道の著書を「読んだよ」「熟読した」と言ってくれました。人が出会い、別れ、再びまみえる。こういう形もあるのだ、と発見した思いです。

 桜塚で過ごした日々が何物にも替え難い日々であった、と、いずれでいいのです、やがて卒業する在校生が言ってくれれば、これに過ぎることはありません。

 虚往実帰、という言葉は桜塚高校生に配布する「進路の手引」巻頭に私が掲げている言葉です。卒業する3年生にも、そして桜塚高校をめざしてくれているあなたにも、伝えたいと思って年頭に、あらためて紹介することにしました。

 虚往実帰 「きょにしてゆき みちてかえる」

『往路には、何も分からず、空っぽだった自分が、充実して十分に満足して帰路についている』という意味です。

 師などから無形の感化や徳化を受ける“たとえ”とされます。この言葉は空海(平安仏教の巨人)が、中国の「師」恵果(けいか)の墓碑に書いた言葉として有名です。

空海は一留学生として中国へ行き、そこで偉大な師恵果和尚に出会いました。師恵果から密教教理の全体系を得て帰国し、現代にまで連なる我が国の文化の礎を築きました。「虚往実帰」は、師の持てるもの全てを吸収した空海の気持ちが伝わってくる言葉です。

 桜塚高校がそういう場所であれればと思いますし、あなたがこれから選ぶ学校・大学で良き師に出会い、そういう場所となることを願っています。

 

本年も桜塚高校をよろしくお願いいたします。